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近ごろはナカマの意味が2014/06/21 11:53
投稿者:Ryou
近ごろはナカマの意味が一変してその原義が忘れられ、華族中間だの、役人中間だのと、同類のものとか、同輩とかの称呼の義に用いられる様であるが、昔は下賤の者に限って用いたものであった。つまりは中間すなわちハシタ(間人)のことで、それを特殊民に対して用うるに至ったのは、その語がさらに下賤なるものに移ったという場合もあろうし、また一方では本来中間階級の身分であったものが、後世一層賤者の階級に下落したという場合もあろう。前引三島文書の「半人」はハシタビトと読み、その義が半端者すなわち中間人で、当時賤しと見られた雑職人の通称であったのは言うまでもない。なおこの事は後項に説明する。

七 間人とハチヤ

 山陰地方にはかつてハチまたはハチヤと呼ばれた一種の階級の民衆があった。山陽道筋でチャセンと云い、北陸方面でトウナイと云い、東海道筋で説経者またはササラと云い、近畿地方でオンボ(御坊)・シュク(宿また夙)などと呼ばれた身分のものも、もとは同様で、古くはチャセンやオンボなどをハチヤと呼んだ例もある。つまりは一種の中間法師すなわち下司法師の亜流で、三昧聖と呼ばれて葬儀の事にもあずかり、兼ねて警察事務、托鉢、遊芸その他駆使・雑職に従事した者であった。前引柳田君の「鉢叩きと其の杖」の文に見える鉢叩きがすなわちそれで、同じ文中に引用してある広島県特殊部落調中の「八矢」というも同一だ。それを戦国時代にはエタとも、カマとも呼んでいた。カマはすなわち関東地方に云うお薦と同語だ。このハチヤ・チャセンの事について、「民族と歴史」に永山玄石君の「岡山県下旧穏坊部落」、倉光清六君の「空也上人と鉢屋伝説」など、有益な論文記事が少からず報告されており、自分もいずれ纏まったものとして発表したいと思っているが、今は特に、本題の「間人」に関連して、ハチまたはハチヤの名義を論究してみたいと思う。
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